現代の美術に舌鼓

ご近所を散策すると、いたるところに美術のようなものを発見します。そんな美術の好きの老人が、素人ながらも美術のブログを立ち上げてみました。

沖展と沖縄県立芸大

沖展というのは、沖縄ではいちばん大きな美術展なわけですが
だいたい1月くらいに応募締め切りがあるのでそろそろですね。


で、この沖展について
どうにも不思議なことがあるので
ちょうどよい時期でもあり、ちょっと意見を述べておきます。

それはなにかというと
わたしの家の近所にある沖縄県立芸大のことなのです。

聞くところによると
沖縄県立芸大の学生やら教官、少なくとも学生のひとたちが
沖展に出展するというのは、あまりないようなのである。
確認ができないのでなんともいえないが、ひょっとすると、限りなくゼロなのかもしれない。

これは、はなはだしく変な現象である。

比較対照として私の知っている地域でいうと札幌(北海道)だが
北海道の場合、もっとも大きな美術展は道展だ。
道展には、毎年多くの北海道教育大の学生、あるいは大谷、あるいは、札幌の専門学校の学生が
市民に混じって出展する。
別に義務でもなんでもないわけだが、また、ポリシーとして
「権威などくそくらえ」的な青臭い人や「めんどくせ〜」的なひとがいてもおおいに結構なのだが
たしかに、道展の場合、ややつんとすました威厳の重圧をかけてくるような雰囲気が濃厚であり
事実、飾られる作品の多くはクオリティが高く、札幌の画壇みたいなひとたちのお祭り然とした空気もあるが
それでも、学生の多くが出展にチャレンジし、多くの学生の作品が毎年飾られ
市民の目に触れるという按配だ。
こまかいところをきれいさっぱり無視すると、わりと健康的な展示であるといえる。

沖展の場合には、その健康度がさらに増しているように思える。
伝え聞く話の多くは「市民が愉しみにしているイヴェント」という話ばかりで
たとえば写真のひとが安保あたりの頃に「反沖展」みたいなことをしただとか
沖展=権威みたいな図式も過去にはあったのかもしれないが
いまの沖展にそんな影はあるのだろうか。
むしろ、スリッパを履いて、自分の靴を手に持って、巨大な体育館で所狭しと並べられた美術品を
あーでもないこーでもないと語り合いながら愉しんで見る様子からは
市民のための美術展という様子がひしひしと伝わってくるばかりなのである。

で、そんな様子の、この沖展に、どういうわけだか、沖縄県芸の学生がそっぽを向く傾向があるのである。

これは異常なことである。

沖展は沖縄県の主催ではないが沖縄県民にいちばん親しまれているという美術展であるからには
沖縄県芸は、このイベントにもっともしつこくチャチャを入れていてもおかしくはない、はずである。
なぜならば、
沖縄県芸は、沖縄県立の芸大ということで、沖縄市民に育てられている美大なのである。
(音楽もありますけどね)

したがって、その成果の発表の場として、もっとも広くアピールできる場所が
沖展ということになると思うのだが、要するにそういう意識が欠落しているのか何なのか
わかりかねるが、沖展?なにそれ?みたいな・・・クール?な態度。

総じていえることだが、沖縄県芸の美術に限って言うと
全体的に活動が弱すぎるんじゃないでしょうか。そもそも教官の活動があまりにも鈍い。
これは教育システムの欠陥、具体的には教官の責任であるが、個々の学生も
ダメな教育システムを鵜呑みにしてないで、自分からすすんで
ベタな沖展にだしてやれ、という人はいないのだろうか。
大学生なんだから、そのくらいの気概はあるべきなのだが。


この話を札幌のある人に話してみたら、
都落ちの卑屈さについての、次のような答えが返ってきたのでご紹介します。
「都落ちという話をすると、それは、酷な状態です。彼らには彼らなりのプライドがあるんです。
たとえば東京芸大を出たひとがいたとする。いわば日本の美術のトップですよ。
それが今じゃ、都落ちですよ。沖縄であれば、南の果てですよ。
北であれば北の果て。いい笑いものです。
彼らの身になって考えてみるとわかります。
同期の優秀な人間はきっと中央で大活躍をしているでしょう。
それにくらべて自分は・・・とか思うわけですよ。卑屈にもなります。
それと比べると、あるのかないのかもわからない・・・中央のひとにしてみればですよ、
存在すら知られていないような大学の教官におさまって、はずかしいじゃないですか。
でも、そうするしか生きられない。
それをね、自分なりに認められないと、卑屈になっていくんです。
それで学生に威張り散らす。そして地元をバカにする。
それが沖縄であれば、沖展をバカにする。沖縄にいながら沖縄を小ばかにしないと
精神が保てられない。
そういうことの背景は、理解してあげないとかわいそうですよ」
わたしは、この意見に、早速反論をしました。
いくらなんでもそんなことはないでしょう!と。
そんなひとたちなら、さっさと辞めて出て行ってもらいたいですね!
ですが、違うと思いますよ。と。
しかし、反論するにしてもなかなか強力な根拠がありません。
彼らだって、美術館の設置に向けてがんばったし、などといいたいところでしたが
思い出されるのは変な新聞記事だとか・・・ね
悔しいことに
「彼らはちゃんとやっているはずだ」という希望を述べているだけのような錯覚を覚えながらの反論になっちゃいました。


来春の沖展に、さて、何人の沖縄県芸の現在の関係者(学生含む)が出展するのか。
いまから、たのしみにしています。

F/P










  1. 2008/11/23(日) 15:07:49|
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第2回合同展を観る

どうでもよい用事にてパレットくもじへ。

パレットくもじへ行くときには必ず那覇市民ギャラリー(このデパートの中にある)へ足を運ぶ。


今回は
第2回合同展
というのをやっていたので見物す。

なにが合同なのか?よくわかりませんが、おそらくは絵のサークルがいくつか集まって合同で展示をしました、みたいなことかと。

それで、基本的にそのような市民サークルのりの展示見物のすきな私としては
なかなか楽しめたわけですが2つだけ具体的に。

ひとつはですね
この展示でもっとも私が個人的に衝撃を受けた、というか
これはいい!
と思った作品なんですが
作者のお名前は会場を出てすぐに忘れてしまいましたが作品名は覚えていて
「倉敷」という作品なんです。

これはよかったですね〜。
なにがよいかというとですね
風景の絵・・たぶん水彩だったと思いますが、そこへ人の写真(きれいに人型にくりぬいてある)が
貼り付けてあるんです。
たぶん、これ、倉敷の風景なんでしょうね。倉敷というタイトルだから。
で、川沿いの道をですね、くりぬかれた写真のおじさんとおばさんがそれぞれ、あっち側とこっち側に
貼り付けられている!
ちょうど路を歩いているような按配で貼り付けられているので
ぱっと見は写真とわかりません。
やたらと人物だけリアルだな〜みたいな。
で、よく見ると、写真なんです。

おばさんは、たしか犬を連れていて、たぶん散歩中の写真なんでしょうね。
それで犬も写真で参加。

すてきです。
様式の立場からするとですね、非常に暴力的な破壊=再生であって
そういう意味では、ほとんどパンクな作品ですが、そうしたパワーをにじませながらも、いたって平和な画境。
すばらしいですね。たとえば
若い人が意図的にこれをやろうとしても、なかなか出来ません。
意図が見え透いてしまい、わざとらしくなってダメなんですね。
トンチ芸術なひとなどは、こういうの(暴力的破壊=再生)をやろうとしますが、まったくダメです。
したがいまして、この「倉敷」という絵は
稀有な成功例なんですね。成功といっても、たぶん勝手にそうなっているんだと思いますけど。
ほんと、よい絵です。

こういう作品に・・・たまにですが・・・出会えるから、こういう展示は侮れないんですね。

もうひとつは・・・
沖縄県立芸大教授の田中さんの作品が2点ありました。
前回、はじめて県芸の版画展で作品を見て、税金で養ってもらっている沖縄県所有の大学の教授なんだから、もっとがんばったほうがいいのではなかろうか
などと思った次第ですが、今回はどうなのか?といいますと

まづ、この種の町の絵の好きな人が集まって展示をするようなところで
あえて2点作品を出していることは地方大学の教官の行動としては、とても評価できます。
絵を教えに行っているんですかね。
合同展なので、それぞれの所属が名前の下に書いてあるのですが
田中さんの作品には、名前と作品のタイトルだけで、所属が書いてありません。

絵のサークルには無所属だから書いていないのでしょう。
では、なぜ、そこに合同で参加しているのか?・・・という謎だけが残るので
沖縄県立芸大の教授なんだから、素朴にそう書けばいいのに、と思いました。
地元の唯一の芸大なんだし、地元に愛されてナンボ。
あるいは、もしそうであるのならば講師みたいなことが書かれてあるとわかりやすいんですけど。
もっと、胸を張って「地元に貢献してます」的な積極行動を望みますが、どうなんでしょうかね。

作品のほうは。。。というと
さすがに、ほかの素人さんの絵とは「技法上の差」が歴然としてあります。
ですが、東京芸大の大学院まで行ったわけですから、それはあたりまえといえばあたりまえというべきでしょうかね。おまけに今は、県芸の教授さまなんですから、それなりの作品でないとね。


どうやって、作ってるんでしょうね、版画でしょうか。
葉っぱ(落ち葉っぽい感じ)の折り重なる画面があり、その面の一部をくりぬいて、中に1枚、蝶の羽が入れてあります。
なんてメルヘンチックな!作品でしょうか。

もうひとつのほうは貝バージョン(羽の代わりに貝殻が入れてある)なんですが、こちらはあえて無視します。
構図がどうも節操なく感じられて、私にはどうもピンとこない、というかダメな印象なので。
こないだ見た、反対運動の・・・ミクストメディアてゆ〜んですかね、あれみたいな。

蝶のほうは羽が1枚ということで、緊張感がありますね。
全体が蝶の羽の1枚の緊張感で引きしまっています。
田中さんというひとは、県芸の版画でもそうでしたが、乙女チックなんですかね。
作風が。
詩情味がある、というか。

落ち葉の下にひっそりと蝶が眠るように死んでいる

みたいな詩情。

実は、叙情派なのでしょうか。

いわゆる、トンチ美術や現代美術じゃないですね。
詩情がある、という意味でいうと、「詩とメルヘン」の方向にある作品だと思います。
詩とメルヘンの挿絵として、この作品が使われると、非常にしっくり来ます。
私は嫌いではありません。

ただ、タイトルと作品のつながりがまったく意味不明でした。
いたいことはわからんでもないのですが、わざわざ小難しいタイトルをつけて
ケムに巻くような印象が生まれるような気がするので。

やなせたかし風というか、詩とメルヘンぽいタイトルのほうがぴったりじゃないですかね。
作品に見合ったタイトルのほうがよいと思いました。

県芸の学生は、田中さんの作品に数多く触れているのでしょうか。
もちろん、そうしているのでしょうけどれも
わたしは、県芸の学生は、もっともっと教授の作品をたくさん見て、作品から得るものを得て
教授も自身の作品を学生にどんどんプレゼンしてさらけ出し、議論をし
その中で、なにかを学ばせるくらいでないとダメだと思いますし
きっとそうしているとは思いますが、どうなんでしょうね。
自分の業績をダシにして、学生を育てる。
これはほかの分野(たとえば、科学とか)であれば当然のことですね。

絵画の先生であれば、業績というのは「自分の絵」ということになります。
そうして、自分の絵を素のままにさらけ出して、その上で、どうやってプレゼンをし、何を表現したかを説明し
学生は学生で、忌憚なく教授の絵を批評し、議論をする。
これがマットウな絵画の教育現場じゃないかなと思うわけです。

たとえば、わたしが学生なら、上の作品を見せられたら
「先生!このタイトルはかっこつけすぎじゃないでしょうか。そんな必要はありますか?
そもそも、どういう意味ですか?きちんと考えた上でつけたものでないと
こういうのは、意味深なだけのうすっぺらなものになり、下手をすると作品にも悪影響を及ぼすと私は思うのですが」
「先生!実物の蝶の羽の美しさに頼りすぎじゃないですか?実際に、作品は引き締まっていますが
それの大部分は、あの実物の羽のせいじゃないでしょうか。わたしならば、羽1枚でも同じ効果が出せそうな気がするんですけど。あ〜、でも、あの葉っぱの描写は実に細やかで、蝶の羽に接近しようとする気持ちは伝わってきますけど」

などと、質問をすると思います。

やはり、そのためには教授は、大学の、あの立派な展示室で、
1年で最低1回、できれば2,3回は個展をすることを義務とするべきです。

県芸の教育については、まだイイタイコトがありますが、まあいいか。
それは美術と音楽との隔たりについて、なんですがね。


F/P/












  1. 2008/11/05(水) 20:08:39|
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沖縄県立芸大の学祭

行ってきました。ご近所なので。

お目当ては、陶芸市ですが
今年は、個人的には、なかなか収穫がありません。
去年はよいお椀を買って、いまでも現役で大活躍をしているのですが
今年は、まだありません。
ちなみに、今使っているお椀が割れたらかなりのショックだと思います。
そのくらい愛用しておりまして、要するに、お気に入りの一生モノの陶芸品に出会う可能性が大
なのです。

明日も行ってみて探すつもり。

展示も見てきました。
絵画の展示では、大城純子さん(?だったかな)の版画がステキでした。
てゆ〜か、このひとは自身の持っている熟練した技法・構図と、個性とがすでに融合されてしまっており
芸術家としては、完成形ですね。

版画の小品も販売されていて、なんと1000円で買えます。
「やや具象寄りのミロ」みたいなタッチの、実にかわいい版画です。

同じ系列?の、スタバの飾り絵みたいなタッチの絵を描く人
(ステファン・パステルみたいな人)がほかにも数名おりまして
そのひとたちもとても上手でした。
時代の移り変わりとともに、みなさん似てくるんでしょうね。
似ていたらダメということはまったくないので、そのまま作り続けると良い作家、
よい絵描きさんになれると思いました。

今回は、わけのわからん現代美術トンチ風&個性探し系の気持ちの悪い作品
みたいなものがほとんどなくてホッとしましたが
毎回よい作品に出会う、日本画のほうの展示にパワーというか深みが感じられず
・・・これは、なんでしょうね、もっともっと緻密さがほしいですね。
日本画の魅力のひとつは緻密さ、繊細さだと思うんですが
そういう作品がなかったのが残念です。

わたしも最近、絵を描くので、他人事ではなく思うわけですが
絵の仕上げについては、どこで完成とするのか?その止め時が重要なのではないでしょうか。
展示されていた日本画は
まだ止めてはいけない段階だと思うんです。
もっと描きこみを続けていれば、もっと良い絵になるのに・・・というのがいくつかありました。


F/P/













  1. 2008/11/02(日) 19:25:00|
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